コラム

自分と他者の間には埋められない溝があることを知っておく

 

死別体験者(いわゆる当事者)と、周囲の方々とは様々な面で温度差があります。死別のショックのため、その温度差に気づかず、意図せず傷ついてしまうことも多いのが死別体験です。

価値観がグラグラと揺れている時には「自分が悪いのかな」とか「自分がおかしいのかもしれない」と自分を責めてしまいがちです。

今回はそういったことができるだけ少なくなるように、どうすればいいのか考えてみたいと思います。

当事者以外には理解されない苦しさ

以下のツイートはやはり同様の経験をした人が多いことの証左になるのではないでしょうか。私自身、それっぽいアドバイスを数えきれないほど受けてきましたが、未経験の方のアドバイスを受け入れても心のどこかでしっくりこないことが多かったのは事実です。

またどこかで「でもあなたの伴侶は生きているじゃないか」という気持ちがあったことも正直なところです。

いずれにしても「死別体験者でなければ絶対に分からないものがある」と確信するようになりました。

 

 

相手が悪いわけではない

なお、誤解を招きそうなので補足しますが、これらの内容は当事者以外を敵視しているわけではありません。

相手は真剣にそう思って発言してる場合もありますし、何とかしないとと思っていることも多いはずです。実際、自分が逆の立場に立ったら同じ発言をしていたかもしれません。

ただ、たまたま、今回は自分が「死別体験者=当事者」となっただけの話です。しかしながらそうなることで、心のバランスを崩し弱り切っているところに、「いつまでも哀しんでたら亡くなった人も成仏できないよ」と言われてしまうと、すごく堪えるわけですね。

自分自身ですでに責めていたり罪悪感を感じていることがほとんどですが、心が悲鳴を上げているにもかかわらず、それでも気丈に振舞わないといけないと思いこんだり、またひどくなると、それによって鬱病を発症したりすることもあります。

私自身も最初は「そういうものなのかも」と思っていましたし、「早く元気にならないといけない、誰だって辛い経験をしているのだから自分だけ落ち込んでいる場合じゃない」と思っていましたし、そう思うようにしていました。

しかし、頭では分かっていても元気になれない。むしろ、日々の生活そのものがどんどんしんどくなってくるのです。

そして気づきます。本当は今でも哀しくて哀しくて仕方ないのだと。

自分らしく、マイペースで哀しむ

結局のところ、死別経験者の間でも差異があるくらいなので、自分の哀しみ方をするしかありません。やがてこれらを経験して中で「グリーフは固有性の高いものなのだ」という単純な事実が、腹落ちする瞬間がやってきます。

そして、だからこそ自分らしく、マイペースで哀しむことがとても大切なのだということです。

グリーフはユニークなものであり、自分自身を癒すのは自分自身でしかありません。

自分の哀しみは、自分だけのもの。その哀しみは人に渡してはいけない、大切なものなのです。

これを理解しておくことで「他者には絶対に分かりえないものがあるのだ」という前提に立つことができるので、他者からの言葉をどこまで受け止めるのかという線引きもしやすくなります。

哀しみは、愛の裏返しの存在

哀しむ行為は、遺族にとって大変苦しく辛いものです。涙を流せば疲れますし、ずっと頭から離れない哀しみは私たちを疲弊させるのです。

しかしそれでも、私たちは哀しみを手放してはいけないと思うのです。

緩急をつけ、哀しみとの距離感を測りながら、それでもきちんと真正面から哀しむようになることこそ、大切な人を愛する行為であり、それは遺された私たちにしかできない尊い行為だからです。

今日はそんなことを想いながら過ごしています。

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dan325

10年ほど前に妻を癌で亡くしました。若年死別経験者。愛する人や大切な人の喪失や死別による悲嘆(グリーフ)について自分の考えを書いています。今まさに深い哀しみの中にいる方にとって少しでも役に立てれば嬉しいです。

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