コラム

こんなにも沢山の幸せを失ったなんて

喪失

先日、以下のアンケートを連続で実施させていただきました。

私たちは「愛する人を失うことによって一体何を失ったのか」を知りたいと考えたからです。最初のアンケートはこちら。

続けて、2つ目のアンケートはこちらです。

この2つのアンケート結果を踏まえて、色々と気づくことがあります。

喪失の種類

こちらのページにも記載していますが、喪失にはいくつかの種類があります。

喪失とは

死別体験そのものは、主となる喪失であり、主原因であり、最も大きなダメージを受けるものです。これさえなければ、今も平穏に幸せに日々を過ごしていたかもしれないのです。

そして私たちは改めて気づくのです。

日々がどれだけ幸せだったか、日々がどれだけかけがえのないものだったか。あの素晴らしい時間は戻ってくることはないのです。私たちはこんなにも沢山の幸せな日々を失ったのです。

 

物理的な喪失によるダメージ

そしてこの喪失を分解すると上述のように、様々な喪失となります。「精神的なダメージ」が一番大きいのは予想通りですが、それ以外の喪失に関しては、「どのように感じているのか」というアンケートでは見事に意見が分かれました。

例え話でよく出るのは「夫を失ったことによって経済的な喪失が大きくなった」「引っ越しをせざるを得なかった」等の現実的に直面する経済的な問題や「義理の家族と疎遠になった」などですが、アンケート結果を見ると決してそうではありません。

※そもそも「夫が働き、妻は専業主婦」という時代ではないので、上記のモデルケースはすでに今の時代に当てはまらないとも考えられます。

いずれにしても、経済的な喪失だけでなく、社会的な喪失(人間関係など)でもなく「物理的な喪失の方がダメージが大きい」と多くの方が感じているのは(個人的には)意外でした。

確かに、「触れることができない」というのはシンプルですが堪えます。

 

愛する人の死と周囲の無理解が孤立を深める

このように、大切な人が亡くなると、その後の遺族の人生には否が応でも変化を余儀なくされます。いわば「二次的喪失」によって私たちの生活や人生は一変します。

伴侶を喪失する、家族を失うというのは人生で最大の出来事といっても過言ではないでしょう。

ただ残念なことにそんな状態であることを周囲は知りません。「励まそう」「元気づけよう」というアプローチをしてくることによってさらに喪失感や孤独感は高まっていきます。

遺族はそうやって孤立していくのです。

そして前回のアンケートにもつながるのですが、遺族側も「周囲には伝わっていない」と感じているのです。

遺族の哀しみは決して周囲には理解されない

 

これらは相互依存のようになっています。実際には対立構造にある人間関係もあるでしょう。

自ら孤立を深める必要はありませんが、どうしても分かり合えない部分があるのだという前提で双方から歩み寄るというのが理想ではないかと思います。

ただし今回のアンケート結果のように物理的な喪失によるダメージが大きい場合には「手を握る」「ハグをする」などの行動は効果がありそうです。確かに下手な言葉よりもそばにいて手を握ってもらうほうがよっぽど感情が伝わってきます。

自らの手で癒しを得ることができる

確かにもうあの人が抱きしめてくれることはありません。しかし、そういったことができなかったとしても、私たちは自らの手で自分を抱きしめることができます。「あの人が全力で愛してくれた自分」だからこそ、私たちは自分を信じて自分を癒すことができるのではないかと思います。

「自らが自らを助ける(セルフヘルプ)精神」に則って、少しずつグリーフプロセスを進むしかありません。

そしてそういう日々の行動こそが、少しずつ私たちに私たちらしさを取り戻させてくれると思うのです。

今日はそんなことを想いながら過ごしています。

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dan325

10年ほど前に妻を癌で亡くしました。若年死別経験者。愛する人や大切な人の喪失や死別による悲嘆(グリーフ)について自分の考えを書いています。今まさに深い哀しみの中にいる方にとって少しでも役に立てれば嬉しいです。

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