コラム

形見の取り扱いは人それぞれでいい

先日久しぶりにアンケートを取らせていただきましたが、またまた予想外の答えが多かったので記事にすることにしました。

テーマは「遺品/形見」です。

まずはアンケートとその結果をご覧ください。

死別後、故人との結婚指輪や故人からもらったアクセサリー(装飾品)、洋服などはどうしていますか?

という質問でした。それに対しての結果がこちらです。

正直なところ、ここまで拮抗するとは思っていませんでした。何故なら「身に着けている」の圧勝ではないかと推測していたためです。

心情的にはやはり「故人と離れたくない」「一緒にいたい」と考え、肌身離さず身に着けていたいと考えるのではないかと推測していました。

しかしそうではありませんでした。3割程度の方が「身に着けていない(大切に保管している)」とご回答いただいています。

「身に着けていない」理由

ちなみに私自身も現在は身に着けてはいません。これは「身に着けていなくても、もう大丈夫。身に着けていなくても心が離れることはないという確信が自分の中にできた」からという明確な理由があります。

自分自身の場合には、遺品/形見というキーワード自体、最初はとても抵抗がありました。それはつまり「愛する人の死」を完全に受け入れていなかったのでしょう。

しかしながら様々な経験/知識を獲得した現在では、「身に着けていなくも大丈夫」という確信があります。もしかしたら同じように考える人が「身に着けていない」を選択されたのかもしれません。

また一方で、「身に着けていると辛すぎて前に進めなさそう」や「身に着けていると無くしてしまうかもしれないし、万が一そんなことが起きたら生きていられない」といった意見も散見されます。なるほど確かに気持ちは痛いほどわかります。「大切だと考えるからこそ身に着けずに保管しておきたい」というのは、確かに納得感も高いです。

自分の納得感や安心感で決めればいい

結局のところ、身に着けていようが身に着けていなかろうが、重要なのは「愛する人と自分は、たとえ死別したとしても変わらず強固に繋がっているのだ」という確信を持てるかどうかということでしょう。

この部分が脆弱だと、手段そのものに執着してしまいがちです。

自分自身も振り返れば、死別後直後から初期にかけては、肌身離さず身に着けていましたし、身に着けていたからこそ安心だったし、身に着けていたからこそ哀しみを深く感じていました。

しかし自分自身のグリーフプロセスが進み、徐々に受容できるようになってくると「身に着けていなくても大丈夫だ」という確信を持つことができました。(最初から身に着けていなかった訳ではありません。そこに至るまでにそれなりに考え苦しみぬいてきたという自負はあります)

つまりグリーフワークにおいても重要な自分自身の「納得感」や「安心感」をベースに選択すればいいということになります。

現時点でどちらを選ぶと自分が安心できるのか、自分の心の拠りどころとなるのかを想像してみることでしょう。

またこれは時期によって変化するのは当たり前ですし、その時の自分自身の心情に正直にいればいいのだと想います。

 

今日はそんなことを想いながら過ごしています。

 

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dan325

10年ほど前に妻を癌で亡くしました。若年死別経験者。愛する人や大切な人の喪失や死別による悲嘆(グリーフ)について自分の考えを書いています。今まさに深い哀しみの中にいる方にとって少しでも役に立てれば嬉しいです。

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