コラム

死の後悔は消えないが、自分の生き方で後悔は最小にできるという話

後悔- 本当に嫌な感情です。

これはグリーフに限らずですが、「後悔はできるだけしたくない」と思うのが普通でしょう。

恋愛も仕事もあらゆるケースに「後悔」は潜んでいます。ただだからといって後悔することを恐れて行動できなくなってしまうというのものおかしな話です。(それこそ後悔してしまいます)

私が伴侶を失ってから多くの後悔を感じましたし、いまも感じることがあります。また一方で、後悔していない部分もあります。今回はそのあたりのことをお伝えします。

後悔は苦しい以外の何物でもない

誰しも「後悔」していることはあると思いますが、その感情に囚われすぎてしまうと身動きが取れなくなってしまいます。私自身もそうでしたのではっきり覚えています。

妻を失った時、「あれもできなかった」「これもできなかった」「どうしてあの時、あんなことを言ってしまったのだろう」と悔やみました。

また(今考えると大したことではないのに)、「ああ、これすらできてなかったんだ」とわざわざ過去の失敗(と認識)している内容を思い出して、後悔の感情を味わっていました。

このように、一度後悔を感じはじめると、あれもこれもとひっぱり出してきてしまうくらい、後悔にあふれた日々を過ごしました。さらに後悔の念から罪悪感も感じ、自身を責め続けていました。

後悔と罪悪感

しかし当然ながら全くグリーフプロセスは前進しません。自ら苦しみに飛び込んでいるような日々でした。

できたことは?

妻との死別後は、後悔と罪悪感に苛まれ、辛い日々が続きましたが、ある日気づきました。「これだけ後悔したことを見つけられたということは、逆に後悔しなかったことも明確になるんじゃないか?」

ここにターニングポイントがあります。

後悔しなかったこと、つまり自分では「できた」と思えることも一緒に思い出し、数えなくてはフェアではないと思ったのです。

そこから「自分ができたこと」もメモに取るようになりました。

後悔したことを思い出さないように、、、、ということはできませんでしたが、同じくらい、自分ができたことを思い出し書き出すようにしました。

つまり、良いことも悪いこともどちらも俯瞰してみられる状態を作り続けました。

全人的は自分も該当する

何度も書きますが、後悔は消えません。それはこれからもついて回ることです。しかし後悔は過去に対しての感情です。ここに必要以上にフォーカスしてしまうとグリーフプロセスが進みません。

だからこそ自分ができることも同時にカウントする必要があります。

亡くなった人を哀しみの存在としてとらえるのではなく、また、愛する存在としてだけとらえるのではなく、彼/彼女が生きていた時と全く同じように接することが大切です。神聖化するのではなく、全人的にとらえることです。そうすれば、

「あんなに素晴らしい人だったけど、こんなダメなところもあった。だからこそ愛おしい」

という風に変化してくるはずです。

そして実はこのことは、自分自身にも当てはまるのです。

「こんなに愛しているのに、なぜお腹は減るんだ。動物的で嫌だ」ではなく

「私は、あの人のことを愛している。それは間違いないのに、お腹は減る。でもそれが私だし、あの人はそれを愛してくれていた」

と捉えるトレーニングが必要です。

こうやって日々過ごすことによって、実は過去への後悔が少しずつ、本当に少しずつ変化してくるはずです。

「未来に向けての現在の思考や行動がが過去の意味づけを変えてくれる」

愛する人が亡くなった事実は変わりません。そしてそこに紐づく後悔も無くなることはありません。しかし、未来につながる現在の行動は、いつしか過去への後悔を最小にしてくれるものだと信じています。

今日はそんなことを思いながら過ごしています。

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dan325

10年ほど前に妻を癌で亡くしました。若年死別経験者。愛する人や大切な人の喪失や死別による悲嘆(グリーフ)について自分の考えを書いています。今まさに深い哀しみの中にいる方にとって少しでも役に立てれば嬉しいです。

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