コラム

哀しみは新しい友人

大切な人がこの世を去り、私たちが毎日感じる哀しみは、時に突き刺すように鋭く、時にじわじわと静かに浸透します。何年経っても哀しみは消えることはありません。

 

「あの人が生きていた頃に戻りたい」と誰もが願います。私たちは、まるでこの世界に1人分の空白ができてしまったように感じます。

しかしその空白は(私たちのあずかり知らぬところで)やがて何事もなかったかのように埋まっていくのです。

つまり、愛する人がいなくても世界は回るという事実を認めなくてはなりません。愛する人は戻ってこないのです。

非常に残酷なこの一文は、そう簡単に受け入れることなどできません。

喪失を認めるのは困難

しかしながら、この前提を認めることがグリーフプロセスでは重要になります。「喪失を認める」というのはJ・ウィリアム・ウォーデンの「4つの課題」でも最初に出てくるものです。

 

あの人がいないなんてまだ信じられないという心理が当たり前で、そんな大切なことを「はいそうですか」とやすやすと認めるわけにはいかないのです。

だから時間をかけて受け入れていく事になります。いつも手伝ってもらっていた食後の片づけも、当番制だったお風呂掃除も、買い物には車に乗せていってくれたこともすべて無いのです。そのひとつひとつにショックを受けて、泣いて、落ち込むのです。

「どうしてこんなことに」と自分を責め、そして無力さを感じ、また涙するのです。そういう具体的な行動を繰り返し繰り返し行うことで、徐々に心が喪失を認めはじめることになります。

私たちは深い深い哀しみを抱きかかえながら、ひとつずつ、丁寧に喪失したという事実を認めていく事になります。

このように、喪失を認める行為が最も重要かつ最も大変です。

哀しみとの共存

「愛する人の死」を徐々に認めはじめると本当の哀しさが顔を出します。静かで暗く重い哀しみは、日常生活のそこかしこに存在しています。家の中にいても、外にいてもそれは不意にやってきます。

私たちはこの「哀しみの来訪」に怯え、暮らすことになります。動悸がして過呼吸になったり、明らかに身体への影響が出たりと、不意に襲う哀しみは、恐怖の対象でしかありません。

この哀しみを回避しようとすればするほど、彼らは不意に、また大きく現れることになります。

それでも、喪失からくる悲嘆感情において、哀しみを徐々に受け入れるトレーニングを重ねていくことでもう一歩進んだ理解や解釈ができるようになります。

哀しみは、愛に比例していること

哀しみの裏には、いつでも愛する人からのメッセージがあること

だからこそ哀しみを新しい友として受け入れること

 

こんな風に「哀しみ」を「新たな友人」として受け入れられるようになるとき、「哀しみとの共存」ができるようになります。

だからこそ、私たちは心から笑うこともできるようになるし、その笑い声が、その笑顔が大切なあの人にきっと届いていると確信するに至るわけです。もしあの人に哀しい気持ちが届いているなら、楽しい気持ちだって伝わっているはずです。

哀しみはいつまでも消えないけれど、同様に、愛も消えることはないのです。

 

今日はそんなことを想いながら過ごしています。

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dan325

10年ほど前に妻を癌で亡くしました。若年死別経験者。愛する人や大切な人の喪失や死別による悲嘆(グリーフ)について自分の考えを書いています。今まさに深い哀しみの中にいる方にとって少しでも役に立てれば嬉しいです。

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