愛する人を失い、哀しみに暮れる私たちはどうしても自分のことをないがしろにしてしまいがちです。自暴自棄になってしまう時もあるでしょう。
しかしそういう時期は誰にでもあるとは言え、ずっとそういう状態が続くと心身ともに疲弊してしまいますし、様々な病気を引き起こしてしまうかもしれません。
今回はそういった方向にはできるだけ進まないようにするにはどうすればいいのかを考えてみます。
自分を諦める
愛する人が天国へ向かってから、自分自身の価値や存在意義というものが分からなくなってしまうのは誰にでも起きうることです。
そして、
「何故生きているのか」
「自分の人生の意味は?」
といった根源的な問いが浮かんできてしまいます。
こういった問いに対する答えは各人それぞれの答えがあり、その人の価値観や使命に紐づくものだったりしますので、実はどれが正解ということはないですし、逆に言えば全部正解だったりするわけです。
しかし、混乱期にある私たちにはそういった(ある種)冷静な判断が難しく、「何の意味もない」「生きてたって仕方ない」という方向に結論を持っていきがちです。
そして自分自身を諦めてしまうのです。そんな時は、少し視点を変えてみる必要があります。
「あの人なら、なんて言うだろう」
自分自身が自分を諦めてしまったとしても、諦めていない人がいます。それはあなたが心から愛する人です。残念ながら亡くなってしまいましたが、だからと言って愛も一緒に消えたわけではありません。
あなたからあの人への愛情、そしてあの人からのあなたへの愛情は不変です。今までは、相手からの愛情をきちんと感じることができていたけれど、今は相手が見えない分、愛情を感じにくくなっていますが、実は何も変わっていません。
その前提で考えた時、「あの人なら、今の自分にどんな言葉をかけるだろうか」と考えてみましょう。
「良く頑張ってるよ、少しゆっくりしたら?」
「いいね、今の調子で全然問題ないよ」
「大丈夫大丈夫。今日はとても頑張ってたし、ちゃんと見てるからね」
どんな言葉をかけてくれるのでしょうか。どんな言葉でも、それはあの人らしい、声のかけ方だと思います。
あの人が大切に扱ってくれた自分を、自らの手でないがしろにしていいのか
その上で考えてみてほしいのです。
「あの人はとっても愛情を注いでくれた私がいる。その私を、私自身がないがしろにしていいのだろうか」
ということです。
自分を大切にするというのは、無理をすることではありません。自分の心に正直に生きていくことであり、自分とあの人との間の絆を信じ抜くことです。
だからこそ、ダメな所も弱い所も丸ごと愛してくれたあの人のように、自分自身を大切に扱わなければなりません。
それこそが、愛する人への愛情表現でもあると考えることができます。
お互いがお互いの存在に感謝し、想いあうからこそ、愛情は永遠に続くと言えます。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。