喪失からくる悲嘆、哀しみという感情は、とても深く複雑なものです。何年も何年も向き合うことが必要とされる深い哀しみ。
それは愛する人との生前の関係性やそれまでの時間の密度などが密接にかかわっており、それらが深ければ深いほど、哀しみもまた深くなるのです。
にも関わらず、「私の方が哀しいはずだ」という人もたまに見かけます。
今回はいわゆる「哀しみ比べ」について解説します。
なぜ人は比べたがるのか?
スポーツや勝負事、またビジネスなどは競争の世界でもありますから、「誰々より強かった」とか「前回は誰々に負けてしまった」といった相対性のある比較は当然有効です。
見ている方もそれがあるから分かりやすいですし、それによって盛り上がるのも間違いありません。チームでも個人でも組織であっても同じことでしょう。
正直言って、私はグリーフにおいては何故なのか全く理解できませんでしたが、たしかに追い詰められている状況においては、誰かと比較することで「あの人よりはマシ」とか「あの人よりも哀しいんだから自分の方が大変だ」と、相対的な立ち位置を確認するで気持ちが多少楽になるからなんだろうなと気づきました。
「自分は大丈夫」と確認するのに他者の状況を持ってこないと安心できないということです。
そしてそれは誰しもが陥りやすいものであり、むしろ注目すべきは「そこまでしないと安定を保てないくらいの大きな出来事」だということです。
もうひとりでは抱えきれない哀しみなのです。無意識に比べてしまうのは仕方がないのかもしれません。
実際に比較することは何の意味もない
気持ちはよく分かるのですが、殊、グリーフワークにおいては他者との比較はほとんど意味がありません。
「大切な人を失う」という点では哀しみの共有は可能だと思いますが、例えば、「母親が亡くなった人」と「自分の子どもが亡くなった人」とではどちらが哀しいのかなどという比較はできません。
仮にそれを断定する人がいれば、それは「その人のケースと見え方」であるだけで、ほとんど役に立ちません。
グリーフはユニークなものだからです。
人の哀しみと自分の哀しみは違うものだということを理解する必要があります。
分かっているのについついしてしまう所に、この難しさがあるわけですが、それでも強く意識しておくだけでも十分だと思います。
まずは自分と向き合うこと
人と比較して自分自身を慰めたところでそんなものは何の意味ないので、それよりもまずしっかり自分自身と向き合うことが重要です。
私自身、「1年経ったのにまだ毎日泣いています」とか「3年過ぎても哀しみは無くならない」というご相談を受けることもありますし、「いま、こんな状態なんですが、大丈夫でしょうか?」といった質問をいただくこともあります。
しかし、それは他者や常識との比較でしかなく、仮にそれにそってグリーフプロセスが進んでいたとしても、自分自身が納得していなければ何の意味もありません。
ゴールがどこにあるのか、その答えは自分自身の中にしかないのです。
そのためには、日々を丁寧に過ごしつつ、自分とゆっくり慌てずに向き合っていく事が遥かに重要です。毎日、できる範囲でのグリーフワークも掲載していますのでご覧ください。
もしそれでもどうしても哀しみを比較したいのであれば、他人ではなく過去の自分自身との比較をすべきでしょう。それによって何かしら変化を感じ取れる可能性があります。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。