愛する人の死に際し、私が非常に苦しんだことのひとつに「こうしなければならないのだ」という強力な先入観があります。
これは自分が想像するより強力で、これによってイヤイヤやらなくてはならなかったり、やりたいと思っていてもできなかったりというケースが頻出します。愛する人に関わる一切のことが「ねばならない」を基準に判断されると、後悔が大きくなってしまう可能性があります。
死別体験は、人それぞれでユニーク(固有)のものであるという前提
「ねばならない」と思ってしまう原因は様々ですが、それは言い換えれば他者や自分自身(後述)からの縛りとも言えます。
自らをそれで縛ることによって、グリーフワークそのものやプロセスがこじれてしまうこともあります。素直にそのまま哀しみを感じられなくなったり、結果罪悪感や怒りなどその他の感情が入り込んでしまうこともあるでしょう。
しかし本来は違います。死別に至る直接的な原因(病気や自死など理由は様々)と、それまでの二人の関係性(出会いから)はどれも同じものはありません。傍から見たら「なんで?」と思うことも二人にとっては大切なことだったりすることもあるわけです。
つまりそれだけ固有性が高いのが夫婦関係であり、それを抜きに死別や喪失は語れないということです。
この部分を忘れないようにするというのも「ねばならない」思考から脱却する方法でもあります。
他者からの縛り
「もう3年も経ったのだから前向きに」や「いつまでもクヨクヨしていたら亡くなった人も浮かばれないのだから、元気にならないと」といったセリフは「そうしなければならない、そうでなければいけないのだ」という意識を植え付けてきます。
本来は固有のものであるはずのグリーフプロセスに対しても、一般的な常識論をかざすことで「あなたはそうしなければならない」というメッセージを暗に発しているケースもあります。
こういった他者からの見えない縛りは、時に私たちを非常に苦しめることがあります。
自らの縛り
そしてきっかけは他者からの縛りであったとしても、最終的には自身で制限してしまうことがあります。
「やっぱり自分はおかしいんだ」「もっと早く元気にならないと」「確かにいつまでも落ち込んでいられない。早く立ち直らないと」といった思考は、弱っている心に大きなダメージを残します。
自らを縛るのはできるだけやめましょう。
時には自分の感情を最優先に
ではどうすれば「ねばならない」思考から逃れられるのか。答えはそれほど難しくありません。
自分自身の感情(直感含む)を大切にしましょう。
グリーフプロセス中では、「何となく嫌だ」とか「あ、この方がいいかも」ということがあります。その時にその感覚を無視しないという事です。
自分の感情を大切にするという行為が大変重要です。
特に本当は自分はそうしたかったのに、周囲の目を気にしすぎて遠慮してしまったりすると、それも死別後の後悔として蓄積していきますので注意が必要です。
誰か他人様に大きな迷惑をかけるようなことでなければ、自分の感覚は大切にした方がいいでしょう。
考えてみれば、生前は愛する人があなたを大切にしてくれたわけです。死別してからもその愛は消えません。だから「自分の感情を大切にする」あなたを見て、愛する人は微笑んでいるのではないでしょうか。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。