大切な人の死というのは、人生で最も衝撃が大きい出来事ですが、それだけ大きければ当然受け止めるだけでも並大抵のことではありません。
ほとんど多くの人がこの深い深い哀しみを受け止めることができず、哀しみに飲み込まれ途方に暮れてしまいます。ところがその中において哀しむこと自体を避け続ける人もいます。こういった方向に進んでしまうと、数年後、何らかのきっかけで深い哀しみに落ちてしまい、そこから進まなくなり、心身ともに深刻に疲弊してしまうこともあります。
悲しむ行為そのものを避け続けると、後々に大きな悲しみとなって返ってきます。仕事で誤魔化したり無理くり考えないようにして予定を詰め込んだりする人がいます。短期的にはそれで誤魔化せたとしても、数年後、ふとした瞬間に一気に悲しみに飲み込まれてしまいます。そうなるとかなり苦しくなります。
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) April 16, 2021
哀しむべきときにきちんと哀しむことは、大変重要です。
哀しみを避けたい心境
とはいえ、愛する人の死など誰一人、認めたくなどありません。そんな事実はすべて消し去ってしまいたいというのが本音でしょう。
その思いが強くなればなるほど、現実から目を背けたくなります。大切な人の死を認めないように生活しようとします。なぜなら大切な人の死を認めてしまうと自分がどうなってしまうか分からず、とても怖いからです。
その恐怖と闘うくらいなら、逃げた方がマシだからです。
考えたり感じる時間を徹底的に減らす
そして、仕事に多くの時間を割いたり(男性に多い)、趣味に没頭したり(実際出来ているかどうか分からない)と、哀しみについて考えたり、感じる時間を作らないようにするわけです。
不思議とこういう時には、疲れを感じないため、長時間できてしまうわけです。仕事のことだけ考えればいいわけで、あとはもう寝るだけです。
1日24時間のうち、多くの時間を仕事に割いて、あとは睡眠時間にしてしまえば、確かに深い哀しみから逃れることができます。
しかし、残念ながらいつまでもそんな状態は続かないのです。
やがて受け止めきれないくらい大きくなった哀しみ
これは人によってさまざまですが、ある瞬間にふと、糸が切れてしまったり、何らかのきっかけで突然その時がやってきます。
急激に落ち込んだりすれば心身ともにダメージを受けます。それまでギリギリのところで踏ん張ってきた(本人は自覚なし)のに、これで一巻の終わりです。
経年すればするほど、その落ち込みは大きくなるでしょうし、再構築にも時間がかかります。
※避けてきた時間があると、「なぜ避けてしまったのか」という余計な罪悪感も抱えることになります。
死別の哀しみは誰にとっても大きすぎるものです。だからこそ、受け止めるだけでも大変な時間、理解が必要になるのです。
最初から受け止められなくてもいいのです。そのためにカウンセリングやサポートグループ、医療機関の存在があるわけです。そういう人たちのサポートを受けながら、少しずつ受け止めていく必要があります。
つまり理解しておくべきなのは、愛する人との死別の哀しみを受け止めるには、段階があるということです。受け止めるための準備段階を拒否してしまうと、後々が苦しくなるのは説明するまでもありません。
誰とも比べる必要もなく、自分のペースでその準備を始めることが大切です。
哀しむことを拒否するのではなく、前向きに哀しむ。あの人を想い、涙することは、決して恥ずかしいことでも何でもありません。むしろ大変美しい行為であり、それこそ今できる最大の愛情表現ではないでしょうか。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。