コラム

哀しめなくなる時がくる

グリーフプロセスは果てしなく長い道のりですが、グリーフプロセスは変化の連続でもあります。

哀しみの最中にいる人にとっては全く信じられないかもしれませんが、実はいつの日か簡単に哀しめない時がやってきます。

一体どういうことなのか解説します。

体験者にしかわからない感覚

現在では普段から涙を流し、心身ともに体調を崩し、生活もままならないという状態ではありません。むしろ普通に社会生活を送ることができるようになりました。

しかしだからといって「哀しくなくなった」訳ではありません。妻が病気で亡くなったのは事実であり、毎日お仏壇に手を合わせてお墓参りに行き、定期的にやってくる〇回忌なども執り行っています。

これが遅かれ早かれなのか、すべての人がそうなるのかはわかりません。ただある一定の確率で哀しみを受容し、昇華していくと同じような感覚を持つようです。(過去にも同様のケースがありました)

個別の死別体験は当然バラバラですし背景も亡くなるまでのストーリーも違います。しかしながら行きつく先はかなり近しいところにあるのではないかと思います。

これは不思議なんですが、ただ死別体験だけでなく「体験」には体験した人にしかわからない共通項があります。スポーツならコツとかゾーンなどもそうでしょう。

「ああそうそう、わかるわかる!」といううまく言葉では説明できないけれど、感覚として共通して持てる部分です。

10年経ったからというわけではありませんが、少なくとも10年間はグリーフや悲嘆について考え続けているわけです。そうなると純度が高くなります。「ああ、そうかなるほど」といったエッセンス的なものを察知して手に入れることができます。

そういったものというのは、おそらく共通していることが多いので似たような感覚になるのでしょう。この体験によって気づくことがあります。

今しか哀しめない

決して忘れまいと心に誓ったはずが、ふと忘れてしまっていることも多いのです。

そうです、つまり「忘れている」ということは「変化している」ということです。物事は気づかない間に変化しており、それによって物事への見え方が変わることも十分にあるのです。

ということは、今、想像を絶する哀しみを抱えていても、実は「今」しか味わえない哀しみである可能性もあるのです。逆説的ですが、「今しっかりと哀しまないでどうするんだ」とも言えます。

哀しみの感情はゼロにはなりませんが、変化していきます。その状況に応じた哀しみが存在します。少しずつ少しずつ変わっていきます。

映画「ラビットホール」にはこのようなフレーズが出てきます。

大きな岩のような悲しみは、やがてポケットの中の小石に変わる

当時、映画を見て号泣しましたが、今でもおススメです。遺族の心がほんの少し軽くなるそんなセリフが沢山あります。

今感じている哀しいという感情、後悔や罪悪感は、やがて変化していくのです。

慌てずしっかり哀しもう

だからこそ、今の哀しい気持ちを大切にし、少しずつで構わないので味わっていきましょう。確かに大変な作業ですが、もし愛情の深さと哀しみの深さが比例するなら、哀しみを避けることはできません。哀しみこそが愛情の裏側にあるのだとしたら、その両方を受け止めていくことが愛する人の死を認めることにつながるのだと言えます。

※ただし無理をしてはいけません。少しずつ、慌てずにマイペースで哀しみという感情に向き合っていくことが重要です。

簡単に哀しめなくなる時がくると、今度はその哀しみがちょっぴり愛おしくもなるのです。

哀しむことを避けてはいけない

哀しみの中に浸っていたい

今日はそんなことを想いながら過ごしています。

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dan325

10年ほど前に妻を癌で亡くしました。若年死別経験者。愛する人や大切な人の喪失や死別による悲嘆(グリーフ)について自分の考えを書いています。今まさに深い哀しみの中にいる方にとって少しでも役に立てれば嬉しいです。

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